ABOUT Okuhara Glass 私たちの想い

奥原硝子製造所は沖縄県に拠点を構える、沖縄最古の琉球ガラス工房です。
1952年にガラス職人の奥原盛栄によって設立、その後「現代の名工」桃原正男に引き継がれ、
現在は代表の宮城和六と工場長で沖縄県工芸士の上里幸春を中心に、
創業当時より変わらない手法で、琉球ガラス製品を作り続けています。
歴史・成り立ち

沖縄でガラスの製造が始まったのは、今からおよそ100年ほど前。
当時は主にランプや漬け物の瓶などを型吹きで造っていたと言われていますが、第2次世界大戦後、物資不足の状況が続く中、職人たちは試行錯誤を重ね、米軍人の捨てたコーラやビールなどの空瓶をリサイクルした「再生ガラス」を原料に生産を続けました。
この「再生ガラス」を使った製法が琉球ガラスのはじまりとされています。その後、米国駐留軍による需要が増えて生産が盛んとなり、沖縄が本土復帰する1972年頃までは60%を米国、20%を日本本土に輸出、残り20%を島内で販売。
そして、1975年の沖縄海洋博覧会をきっかけに琉球ガラスは観光土産品として広く知られるようになり、1998年には沖縄県の伝統工芸品に認定されました。
ガラス作りの工程

ガラス作りの工程は1300℃の窯の坩堝(るつぼ)から元玉(もとだま)を巻き取ることから始まります。
最初は小さく巻き取り球体にしますが、これが製品の基本の形となるため、ゆがまないように細心の注意を払わなければなりません。息を吹き込み膨らませて徐々に大きくしていきますが、ガラスの状態は常に一定ではなく刻々と変化するため、吹く側はその変化に柔軟に対応する体力も必要となります。
その後、吹き竿から切り離し、再度ガラスを熱しながら形を整え口の部分を広げていきますが、この工程は複数人での作業となります。わずかな温度の低下でガラスが固まってしまうため、一秒一秒が勝負となる大変難しい工程ですが、職人たちが連携し合って初めて完成します。
お互いの経験や信頼関係で結ばれたチームプレーによりお客様にお届けする製品をつくっています。
奥原硝子のこだわり

現在は沖縄県那覇市の伝統工芸館に工房をかまえ、デザインや使い勝手はその時々の時代に合わせ日常使いいただける事を意識し、手仕事で作っています。
近年は、様々な企業さんとのコラボ商品の生産もあり、様々なカタチ、方法で皆さまに触れていただく機会も多くなりました。これからも社員一同、皆様に愛される製品造りを行なってまいります。
当社製品ならではの質感、素朴なデザイン、優しいフォルムをお楽しみいただければ嬉しいです。